いちばん羨ましい人間
↓
↓
↓
↓
↓
ペット動画で一生暮らせる金を稼いでいる人
いちばん羨ましい人間
↓
↓
↓
↓
↓
ペット動画で一生暮らせる金を稼いでいる人
嫌いだった。なぜなら、料理というものは失敗したときに隠しようがないからだ。
人に失敗を見られるのが何よりも苦手な自分は、とにかく料理を嫌厭していた。他のものであれば大抵隠蔽のしようがあるのに対して、料理というものは、「誰かに見つかる前にものすごく急いで失敗作を食べ尽くす」しか方法がない。なんとも惨めで情けなくてマヌケである。だから、意地でも家族の前で料理はしなかった。
ごくまれに、家族が家を空けている時に思い立って料理を始めることもあったが、誰かが帰って来ることを危惧して外の物音に異常なほど過敏になり、ものすごく焦ったりした。滑稽である。
自分の意思で料理をしているところを家族に見られるのが恥ずかしくて、どういう顔でいればよいのか分からなくなる。家族に「何作ってんの?」と、何の気なしに聞かれることがものすごく苦手で、「頼むから放っておいてくれ、わたしをいないものとしてくれ‼️」という意思表示のために、いつも不機嫌なフリをしてしまう。それは今でも変わらない。(そしてすぐに反省して自分からたのしい話をする、を毎度繰り返す)
そんな私も、高校1年の冬ごろに両親が離婚し父親との別居生活が始まると、以前よりも料理をするようになった。そして、3年生のころ恋人ができてからは、元からあった「自立に料理は必要」という気持ちに、「作ってあげたい人がいる」という気持ちが作用して、好んで料理をするようになった。今では時間があると暇つぶしに何か作っている。ものすごい成長である。
とはいえど、自分の作った料理を人に食べさせるというのは、すごく体力がいる。慣れていない料理をするときの不安と心配から、手際の悪さを意識してしまって余計手際が悪くなったり、不味かったらどうしようと不安になり自分を勝手に追い込んだりしてしまう。だから、私がごはんを作ったときには「おいしい」と5000兆回言ってほしいです
(^。^)
って、ほんとうは可愛くないのに、なぜかかわいいかわいいとみんなにチヤホヤされる位置にいて、腹立つ
ごめんなさい。
でも、チワワの写真をみるとぜったい笑ってしまうので、チワワのこと、すきかもしれないです
のように、自分の生きづらさに名前がついているとすこしだけ安心するけれど、診断書が出るような病気とは違うので人に伝えるほどでもないなと思う。(何より、言い訳しかできない可哀想な奴だと思われたくない。)
わたしはすぐに涙が出てしまう。別に悲しくなくても、泣きたくなくても、複雑な心理状況から涙が出る。人にどう思われるかが怖くて、ほんとうは伝えたい言葉が喉に引っかかる。声が出ない代わりに、しきりに涙が出る。一度涙が堪え切れず泣いてしまうと、そのときはバレずに済んでも、その時点で心が一度グラグラになってしまっているので、その後話しかけられると今度は隠すことができない。そして一度泣くと、同じことで何度も泣いてしまう。酸欠で頭痛がするほど長い時間泣いてしまう。診断されるような名前がつけば楽になるのにな、といつも思います。
この性質が(性質のせいにして甘えてばかりじゃダメなんですが…)大切な人を苛立せる原因になったり、負担になってしまうことがあってすごく落ち込む。自分が悪いのはわかってるし、向こうにその気が無いのはわかってるんだけど、泣き虫を否定されるのは、わたしにとって人格を否定されたのと同義なのです。今わたしが泣き虫なのには、今まで経験してきた環境やトラウマや絶望が背景にあるわけで、泣く理由が今にだけある訳じゃない ということです。人格なんです、アイデンティティなんです、泣きたくなくても涙が出るし、泣いたら許されると思って泣いている訳じゃないのです。感情が複雑になると涙が出る、という生理現象なのです。だから怒らないでほしいです、余計涙が出るので。我儘ですね‼️
ちなみに、今までの人生で流してきた涙の総量で、お風呂を沸かせると思います。人をあっためられます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*⭐︎
をするときどうしても笑ってしまう。
ものすごく照れ臭いし、ものすごく恥ずかしくて、真顔でいられない。あと人に見られながらご飯を食べられない。見られると、面白くもないのに笑ってしまって口角が戻らなくなる。笑っているから食べられない。
どうしてみんな真顔でいられるのかしら…