好き

という感情の強さについて。

私は自分の見た目や身体にコンプレックスがたくさんあります。その中でもライトな話をすると、わたしは右目と左目で二重の食い込み方が違うのです。自分の笑った顔を写真で見ると、左右の顔がまるで別人のような表情になることがずっと嫌でした。長い間、毎晩アイテープで癖づけをしていましたが、右目だけはどうしても無理でした。

ですが、私の敬愛する折坂悠太という人物も、左右の目で二重の食い込み方が違うのです。

それに気づいた時、わたしにはそれがすごく魅力的に見えました。それからは、「好きな人と同じ」だから、この歪な二重も気に入っているんです。

 

好きってすごいなぁと思います。

人ってこうやって生きていくのかもなぁと思いました。(小並感)

 

整理整頓

が大好きです。フェチです。

 

タスクをひとつひとつこなして、全部きれいに終わった(収まった)瞬間に快感を得ます。

だから家事が好きです。

 

料理をしていても、作っている途中から片付け始めるし、綺麗に拭き上げたキッチンをちょっとの間眺めてやや恍惚とした気分になります。洗濯物を干すときも、自分の中にルールがあって、それに完璧に沿うかたちで干せたときにはドーパミンがブシャーです。こだわりが強くて、すべて干し終わった後にそれが気に入らないと、一部干し直すこともしばしばあります。部屋の片付けとか、家の押し入れの整理とか、進んでやりたくなります。

 

これは家事に限らず、デザインや写真においてもそうです。

デザイン業界におけるアートディレクターという仕事は、クライアントの要望の本質を対話から探り当て、必要なものを必要な場所に与えるという職業だと思います。だからグラフィックデザイナーよりも、アートディレクターという仕事の方が好きです。

グラフィックデザインにしても、自分でイラストやビジュアルアートを生み出してどうこうするよりも、すでにあるものを整理整頓するエディトリアルの方が性に合っている気がします。

また、撮影や写真のレタッチは、不必要なものを排除して、本質がより映えるように調節する作業です。だから好きです。

整理整頓で飯が食っていけたらいいなぁと思います。^_^

 

貧乏は

最もクリエイティビティが高い状況なのではないかと思います。

最近、学費のために節約をしているため、ずっと買おうと思っていた2000円のメイクポーチを諦めて、自分でミシンをカタカタして巾着をつくりました。布は100均で買ったものの半分を使い、リボンは家に余っていたものを使ったので、実質50円くらいです。

他にも、お昼ご飯に学食で買って食べるのをやめて、前日の夜にお弁当を作るようになりました。学校帰りにスーパーに寄り、優柔不断で悩みつつも安くなってる食材を買い、夜な夜な切って炒めたり。

あと、ペットボトルを買うのをやめて水筒にしました。ただ、保冷がしっかりしているステンレスのものは高かったので、無印の160円のボトルをお弁当と一緒に百均の保冷バックに入れて使っています。

 

お金がないと、限られた条件の中でどうにかしようと工夫するために、頭がすごくはたらくんです。これってすごく原始的な感覚だなぁと思います。昔の人って食器にしろ家にしろ、「自分でつくる」ということが生きるうえで不可欠なことですから、今の私たちにはその感覚が欠如しているのではないかと思います。(まあそれで生きられるからいいんですが、脳は退化するということです)

ここ最近、大学でのあれこれに精神がズタボロになり、ものづくりから心が離れていたんですが、ミシンをカタカタしているとき、なにごれ!たのじー!!となったので、結局のところ自分は手を動かしてものをつくるのが、昔からずっと好きなんだなと改めて思い直しました。出来上がったものには愛着も湧いて、なんだかとっても満たされました。貧乏とは言うけれど、得たものはこっちの方が豊かなんじゃないかとさえ思います。

あと玉子焼きをつくるのがちょっとうまくなりました。)^o^(

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ちいかわ

が、憧れの「むちゃうマン」といっしょに写真を撮りたかったのに、周囲の人々の遠慮のない勢いに負けて前に出れず、ほんとうは全然大丈夫じゃないのに大丈夫なフリをして、泣きそうな顔でハチワレの元に戻ってくるちいかわに、あまりにも感情移入しすぎて泣きそうになった